あおもりデンタルケアあおもりデンタルケア ドクター紹介

ご予約・ご相談はお電話で
[診療時間] 8:40〜12:00/13:40〜17:40(土曜午後は13:00〜17:00) [休診日]日曜・祝日

ドクター紹介

あおもりデンタルケア院長 宮川 聡文

あおもりデンタルケア院長宮川 聡文Satofumi Miyagawa

  • 青森県歯科医師会会員
  • 八戸歯科医師会常務理事
  • 八戸高校校医

経歴

平成3年3月
青森県立八戸高等学校卒業
平成3年4月
東京歯科大学入学
平成9年3月
東京歯科大学卒業
平成9年4月
東京女子医大病院歯科・口腔外科入局
平成9年10月
東京女子医大病院救急医療科(救命救急センター)出向
平成11年10月
(医療法人財団三友会)東部地区共同診療所(茨城県)出向
平成12年4月
(医療法人社団純厚会)横浜ビジネスパーク歯科クリニック入社
平成13年9月
(医療法人社団松弘会)三愛病院 歯科口腔外科非常勤医(兼務)
平成18年5月
あおもりデンタルケア開業。以後院長として従事。

私の半生

歯科医師になるため歯科大学へ

私は家業が歯科医院の家に生まれ育ちました。自宅兼診療所の生活環境のせいか特に進路に関して歯科医師以外に疑問を持つことなく高校へ進みました。3年後歯科大学に入学、あまり学問は好きでありませんでしたが、6年間で大学を卒業しました。良いことではないのですが、授業をサボってアルバイトばかりしていたことを思い出します。自分にとって6年という大学生活はとても長い時間に感じていました。

大学病院へ就職、救命救急センターでの研修

大学6年生になると卒後どこに就職するか悩むのですが、消去法で外科系に行こうという結果になり、医科大学の歯科口腔外科に就職することにしました。早く社会に出て生活を成り立たせたいという気持ちもあり、大学院に進むという選択はありませんでした。就職先の大学病院では半年ごとに外来と病棟を交代で担当するシステムになっており、毎日忙しく朝から晩まで働く日々が約2年半続きました。1年350日ぐらいの労働で月給は45,000円という今では信じられない超ブラックぶりなのですが、忙しいながらも楽しい生活でしたのであまり苦になりませんでした。就職後半年経ったある日上司から飲みに誘われ、救命救急センターで研修に行くよう命ぜられました。満足に歯医者ができないのに、数か月歯科の現場から離れることに不安はありましたが、この機会を逃すと後悔すると思い研修することに決めました。救命救急センターの朝は早く、研修医は朝6:00に集合、ICUで担当患者さんの採血やレントゲン撮影等を行い7:00からのカンファレンスの準備をします。カンファレンスでは上の先生からの質問があるのですが、歯科医師の自分は圧倒的に知識不足で結構大変でした。そのような中同期の医師が教えてくれたり、助けてくれたりして何とかこなしたことが思い出されます。この当時知り合った医師の中には今でも家族ぐるみで付き合いのある親友がいます。数か月ほぼ病院に泊まった生活が続き、時々アパートに着替えと郵便を確認しに行くという生活が数か月続きました。ただ忙しいながらも結構飲み会は多く、楽しい社会人1年生生活でした。救命救急センターの研修がおわり、歯科に戻ると歯科医師として入院病棟と外来の生活に戻りました。厳しいながらも優しく指導してくれる上司がいたおかげもあり救命救急センターで歯科から離れていた数か月は何とか取り戻し同期の歯科医師に追いついた気がしました。ただ今にしてみれば、歯科医療から数か月離れ違う経験をしたことは人生に於いて大きな肥しになったと感じております。

歯科医師2年目、他の病院でのアルバイト

歯科医師2年目になると親不知(おやしらず)の抜歯をはじめとする小手術を担当させていただき、自分の技術レベルを上げる機会を得ました。また、2年目から外の病院にアルバイトに行くことが認められましたので、医局の出張先の歯科医院にアルバイトに行きました。いくつかの歯科医院にアルバイトに行きましたが、行く先々の院長先生には一方ならぬお世話になりました。カルテの記載方法から、患者さんとの話し方、技術等々沢山のことを教えて頂きました。医局からは週に1回のアルバイト日をもらっていたのですが、それでは生活できないため先輩の紹介で夜間診療を行っている医院にもアルバイトに行きました。院長先生は夕方で帰ってしまうので、その後歯科医師は自分しかいないというプレッシャーがある状況での診療でしたが歯科医師2年目にして良い経験になりました。医局には年に1回主任教授との面談があり、現状の勤務や研究の報告、次年度の勤務体制について話し合います。3年目は是非とも医局の出張先の病院で働きたいと思っていたので、その希望を出したところ、承諾していただき歯科医師3年目の後半は北関東の病院に出張させていただきました。そこは内科と歯科がある診療所で半年間衛生士2名と受付1名で診療をしました。歯科医師は私1名でしたので、頼れる人はいないのでこれまたプレッシャーでしたが良い経験になりました。ここは土日休みでしたので、土曜日は近くの歯科医院でアルバイトをしておりました。

複数の医院を掛け持ちで働きさらなる研鑽

「小手術ができるようなったら辞めよう」と決めていたので、3年で大学病院を退職しました。

その後は関東の歯科医院に勤務しました。どういう勤務体系が自分のためになるかを熟慮しました。常勤ですと1つの医院でしか勉強できないので非常勤で3つ(多いときは4つ)の医院を掛け持ちで働きました。この時期が歯科医師として一番勉強をしていた時期でした。大学病院ではなかなか習得できなかった技術研鑽をし、(電車の中で)専門書もけっこう読みました。歯科技工士さんには厳しく指導され自分の治療についてアドバイスを受けた時期でもありました。また、インプラント等卒後教育がメインになる分野を本格的に勉強しはじめたのがこのころでした。仕事が終わると残業をしている技工士さんに遅くまで邪魔をしてよくおしゃべりし技術も教わりました、その方とは今でも仕事のやり取りがあります。ワールドカップサッカーが日本で開催仕事そっちのけでスタッフみんなでテレビくぎ付けになったこと、北朝鮮から拉致された日本人が帰ってくる中継にこれまた仕事そっちのけでテレビくぎ付けになったことを強烈に覚えております。

分院長としての勤務、そして現在

約3年こういう生活をした後退職させていただき、新規の医院で分院長を募集している医院で勤務をさせていただきました。ここでは頼れる人がいない状況で2年半ぐらい頑張らせていただきました。自分の限界やここまでならできるけどこれ以上は専門医におまかせしようという判別式ができたのがこのころでした。

結局平成9年に大学を卒業してから平成18年5月までの9年ちょっとの勤務医生活にピリオドを打ち、八戸に戻り現在の私があります。

ご予約・ご相談はお電話で ご予約・ご相談はお電話で
  • [診療時間] 8:40〜12:00/13:40〜17:40
    (土曜午後は13:00〜17:00)
  • [休診日] 日曜・祝日